ベルリンの魅力➀『ドイツ激動の戦後史とベルリン』


いきなりクイズです!ドイツの首都はどこでしょう?そう『ベルリン』です。

ベルリンは、フランスのパリ、イギリスのロンドン、オーストリアのウィーン、ベルギーのブリュッセル…など各国の首都と比較すると少々地味な印象ではないでしょうか。ドイツの首都なのに、現時点で日本からの直行便が飛んでいないなんて。ちょっと寂しいものです。

しかし、魅力あふれるベルリンに是非是非足を運んで欲しいと願い、このブログを書いています。

さて、今日はまずちょっと遡ってベルリンにまつわるドイツ現代史を簡単におさらいです!

《1945年:ドイツ無条件降伏~敗戦》
1945年4月末にヒトラーが自殺。首都のベルリンはソ連軍に占拠され、5月7日にドイツは連合国に無条件降伏、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4つの戦勝国に分割占拠されました。ベルリンも米英仏ソの共同管理とされました。この段階では、まだ「ベルリンの壁」は作られていなかったので、東西ベルリン市民は自由に行き来していました。

《1948年:東西ドイツに分裂・ベルリンも東西に分割される》
米英仏とソ連が目指すドイツの経済復興の方向性の違いから対立が鮮明になる中、1948年6月、米英仏が通貨改革を強行したことから、ソ連が「ベルリン封鎖」を開始。
孤立した西ベルリンに対し、アメリカは大空輸作戦で物資を投下して、危機を救いました。

《1949年:ドイツ連邦共和国(西ドイツ)・ドイツ民主共和国(東ドイツ)の成立》
西ドイツと東ドイツがそれぞれ成立し、ベルリンも東西地区に分かれましたが、50年代はまだ比較的自由に行き来できる状態でした。が...西ベルリンの経済が先に発展していくと、東ベルリンから西ベルリンへの亡命が増えていきました。西ドイツの首都は暫定的に「ボン」におかれることになりました。

《1961年:ベルリンの壁建設》
東ドイツ政府が「ベルリンの壁」を建設。自由な往来が禁止されました。

《1989年:ベルリンの壁崩壊 1990年:ドイツ統一》
ベルリンの壁が崩壊、翌年にドイツは統一。「ベルリン」が統一ドイツの首都となりました。様々な問題を乗り越えながら、現在に至っています。


★ドイツ初の女性首相:アンゲラ・メルケル★


写真©The Federal Chancellor official website Bundesregierung/Eckel

ドイツ前首相の「アンゲラ・メルケル」は、1954年にハンブルクで生まれましたが、お父さんが牧師として東ドイツに赴任することとなり、1957年に家族と共に東ドイツへと移り住みました。上記の歴史年表を見ると、メルケル誕生当時、ドイツはすでに東西ドイツに分裂していたものの、1950年代はまだ比較的往来が自由だったことがわかります。メルケルは、子供時代、青春時代、大学時代を東ドイツで過ごしています。成績優秀、物理学の博士号を取得しています。


NHKの「映像の世紀~バタフライエフェクト」という番組があり、「ベルリンの壁崩壊~宰相メルケルの誕生~」が何度も再放送されています。彼女のこれまでの人生がまさにドイツの激動の歴史そのもので、何度見ても興味が尽きず、再放送があるとまた見てしまいます。アンコール投票1位の人気番組ですので、また近い内に再放送されると思います。もしよろしかったら見てみてくださいね。

NHK 映像の世紀~バタフライエフェクト『ベルリンの壁崩壊~宰相メルケルの誕生』


2005年にドイツ初の女性首相に就任以降、在任16年という長い在任期間を終え、アンゲラ・メルケルが退任式の演奏に選んだのは、青春時代のヒット曲、東ドイツ出身のパンクロック歌手ニナ・ハーゲンの『カラーフィルムを忘れたのね』でした。曲も特徴的で耳に残るメロディーですが、満足げに耳を傾けるメルケルの表情もまた忘れられません。

BBCワールドニュース「メルケル独首相、退任式に青春時代のヒット曲を選ぶ」


激動の歴史を経て、今も発展し続けるベルリン。一年を通して魅力的なイベントが満載の街です。


次回は、皆様に是非おすすめしたいベルリンのイベント、特に10月に開催される光の祭典「フェスティバル・オブ・ライツ」について紹介しますね。










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