『ベートーヴェン音楽祭』で賑わう街 ♪ボン♪


日本でも愛される作曲家であり、ピアニストでもあるベートーヴェンが誕生したのは、ドイツ西部のボン。
生まれてから22歳まで過ごしたベートーベンの生まれ故郷であるボンでは、毎年、世界中からたくさんのベートーヴェンファンが訪れます。
 
今日は、音楽家ベートーヴェンのボン時代と、ボンの町について、ご紹介します♪
 
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18世紀末。
ウィーンでハプスブルク家のマリア・テレジアが女帝として君臨していたこの頃のドイツは、現在のドイツの形としてはまだ存在しておらず、ボンのあるドイツ西側の地方は、貴族・諸侯が自分の領土を治める形で小さな国が分立していた時代でした。
 
裕福な貴族たちは宮殿に住み、定期的に客を招いて優雅にコンサートを開く・・・。
そういう時代でしたので、各貴族の家に仕える「お抱え音楽家」というのがいまして、ベートーヴェンの家はそういった貴族の雇われ宮廷音楽家でした。
 
一方。宮殿に出入りするとはいえ、宮廷音楽家というのは決して儲かる仕事ではなかったようで、ベートーベン一家の暮らしは貧しかったようです。
 
 
ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)。
 
一家がコブレンツからボンに引っ越して4年目の1770年12月のある日。
ルートヴィッヒと名づけられた男の子が生まれました。
これが、後に偉大な音楽家となるベートーベンです。
 
祖父は宮廷楽長、父は歌手。
代々音楽家に生まれた小さなルートヴィッヒが音楽に親しむのは、ごく自然の流れでした。
 
ルートヴィッヒの音楽の素質を早くから気付いていた父ヨハンは、幼少のモーツアルトが天才的才能で宮廷を騒がせたように、我が息子ルートヴィッヒも同じ道を歩めるはず!、と厳しいレッスンをつけました。そして、それに応えられるだけの才能を持ち合わせていたルートヴィッヒは徐々に音楽の芽を開いていきました。
 
そうして、ルートヴィッヒは10代の頃には一家を支えられる程の収入を得るようになりました。
16才のとき、ルートヴィッヒは憧れのモーツアルトの元で音楽を学ぼうとウィーンへ旅立ちますが、母危篤の知らせにより、すぐにボンへ戻ることになります。
その後、母は亡くなり、もともとアルコールに溺れていた父の酒の量はさらに増え、家族の生活を支えるのはやはりルートヴィッヒでした。
一家の生活はさらに苦しくなりました。
 
かつて、志半ばで諦めたウィーン行き。再び、ルートヴィッヒがウィーンへ旅立てたとき、彼は22歳。
憧れのモーツアルトは既に他界した後でした。
そして、ベートーベンはウィーンで新しい生活を始めます。

 
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かつて、西ドイツの首都が置かれていたボン。
現在の首都ベルリンと比べると、とても小さなこじんまりとした町です。
 
高い尖塔が伸びる大聖堂を中心に旧市街が広がり、市街地を抜けると雄大なライン川が流れ、遠く対岸には7つの連なる山並み(Siebengebirge)が望めます。

 
幼少期から成人になるまでベートーベンが過ごした町。
 
ベートーベンの生家「ベートーベン・ハウス」は、ショッピングもできるボン旧市街のほぼ中心にあります。
うっかりすると見逃してしまいそうなほど左右の建物に溶け込んでいますが、家の入口横にはちゃんと「ベートーヴェンが生まれた家」と書かれたプレートが掛かっています。
ベートーヴェンはこの家の屋根裏部屋で生まれ、その後、4歳まで暮らしました。
一家が暮らした家はボン市内に計5ケ所あったようですが、現在保存されているのはこの一軒のみなので、ボンに行ったら是非立寄ってみてください。
 
ベートーヴェン・ハウス内部は記念館として見学できるようになっており、ベートーヴェン直筆の楽譜や演奏した楽器などとても貴重なものが展示されています。
 
ベートーヴェンの死後18年経った1845年、この町で初の『ベートーヴェン音楽祭』が開催されました。
『ベートーヴェン音楽祭』が開催される毎夏8~9月は、ボンの町は音楽で満たされ賑わいます。
 
そして、ベートーヴェン生誕250周年を迎える2020年に向けて、現在着々と準備が進められています。
 

ライン川沿いのビアガーデン 水辺のオープンスペースが心地いい!
 







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