「ルターとバッハの軌跡を巡る旅」のご紹介!


今日は、「ルターとバッハの軌跡を巡る旅~8日間~」ドイツの歴史と文化に触れるツアーのご紹介です。

なぜバッハとルター?
宗教改革のルターと音楽の父バッハの歴史的な接点とはなんでしょうか?


ヨハン・セバスティアン・バッハ(J.S.バッハ)はマルティン・ルターの死後、約140年が経過した1685年に、テューリンゲン州のアイゼナハに誕生しました。バッハ家は16世紀後半から18世紀まで続いた音楽家の家系で、代々のバッハ家の音楽家は、ルターの宗教改革以降、ドイツプロテスタント音楽の作曲家や演奏家としてその生涯を送りました。



プロテスタント教会の賛美歌「コラール」

宗教改革以前のカトリック教会では礼拝で会衆が歌うことはありませんでした。聖歌は教会専属の音楽家と聖歌隊によって演奏され、会衆は静かに聞くというスタイルでした。それに対してルターはドイツ語で賛美歌を作り、誰もが歌えるようにしました。

ルターは聖書の言葉がより信徒の心に宿すようにと、みずから30曲ほどの賛美歌を作曲したといわれています。ルターはもともと音楽愛好家で、歌もうまく、リュートも弾きました。ルター派の賛美歌はドイツ語で「コラール」と呼ばれ、ドイツ人の心のふるさととも言われています。

「コラール」は、プロテスタント教会に共通する礼拝の特徴となっていきました。
ルターは、音楽は神からの賜物であり、キリストの教えを歌うことが神の御心に沿うものと考え、ルター派プロテスタントのバッハ家もみな音楽を通して福音を歌い奏でることが神の御心に沿うものと信じていました。

「音楽の父」と称されるヨハン・セバスティアン・バッハもルター派の音楽家で、コラールを素材としたカンタータをたくさん残しています。コラールがルター派の教会音楽を発展させたともいえます。


ルターの死後もこのような教会音楽は発展を続け、ヨハン・セバスティアン・バッハの晩年に最高峰に達しました。
偉大な音楽家バッハの生みの親はルターといっても過言ではないでしょう。バッハは、ルター以降のドイツ・プロテスタント音楽の集大成を行いましたが、また同時に近代音楽の基礎ともなりました。このため、バッハは「音楽の父」とも呼ばれています。


歴史的につながりの深いルターとバッハ。両者の軌跡を巡るツアーをご用意いたしました。


ルターとバッハの軌跡を巡る旅~8日間~



ご興味のございます方は、ぜひツアーの詳細をチェックしてみてくださいね。
個人ではアクセスが不便な郊外の街は、専用車を利用して効率よく回ります。

ドイツエクスプレスでは延泊・前泊も含め、お客様のご希望に合わせてオリジナルツアーをお作りいたします。
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