ベルリンへ20年ぶりに行ってきました


ベルリンへは今回で4回目の訪問です。
最初は1986年、次いで1988年、そして壁が崩壊した後の1990年。
あの1989年11月の激動の瞬間から21年、そしてベルリンへは20年ぶりの訪問です。



昔の壁があった位置を示しています。


旧西ベルリン側は20年前とそれほど変わっていないようで、メインストリートのクーダムも高級ブランドブテックが増えた位でしょうか。これはベルリンに限らず、世界中の大都市で同じような現象が起きているので驚きもしません。
しかし、東側は昔の面影を若干残しつつもかなり様変わりしていました。

壁があった頃の東ベルリンは暗い印象で、街には広告が全く見当たらず、店に入っても薄暗い蛍光灯の灯りで商品もまばらで店員も無愛想、歴史的な建築物も薄汚れていました。西側からチャーリー検問所を通って東側に入ると、これが同じ街かと信じられない程の格差がありましたが、20年過ぎて街が同化したのでしょうか、タクシーに乗って外を眺めても旧西側・東側の区別がはっきりとはつきません。



チャーリー検問所跡、当時のまま保存されているようです。

古い建物が壊されホテルやショッピングセンターに変わり、道路が整備され並木も植えられ昔の面影が薄れていくようですが、それでも西側に比べて、古色がかってのんびりしていると感じるのは昔へのノスタルジーでしょうか。
そう感じるのは私だけではないようで、東ベルリン市民の7名に1人は昔がよかった・・、というアンケート結果もあるそうです。



境界の河を泳ぎ脱出を図って銃殺された人のモニュメント。昔(1986年)は十字架が河沿いに並んでいました。

所得格差が拡がって商業主義的に社会や街が変わったといっても、自由がなく言論が統制されていたあの重苦しい東ベルリンよりはいいと思うのですが・・・。

世界大戦後の冷戦、東西分裂、壁の崩壊、EUの発足、そしてグローバリゼーション、いろいろと考えさせられた今回のベルリンへの旅でした。

次回来るときは夏がいいですね。3月というのに気温はマイナスで翌朝には雪が積もっていました。



地下鉄もこの20年で東西ともに整備されてきました。
チャーリー検問所駅






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ドイツエクスプレス
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