ルターの盟友 画家ルーカス・クラーナハ


ヴィッテンベルク大学神学部教授だったルターが1517年95か条の論題を掲げた城付属教会の正門

ちょっと釣りあがった目、あやしく微笑む女性。クラーナハ(クラナッハと表記も)の描いた女性達は500年後の私達にも魅力的です。日本では2016年から17年にかけて、東京上野の国立西洋美術館と大阪の国立国際美術館で
「クラーナハ展ー500年後の誘惑」と題して展覧会が行われました。図録から、展示された絵画がヨーロッパ各国やアメリカの美術館所蔵であることが分かります。ある美術の先生が述べていましたが、クラーナハの絵は当時の王侯貴族の贈答品として重宝され、女性が主題の絵は寝室を飾るものだったそうです。これが、各国の美術館の所有となった理由ですね。今日は、クラーナハについて書きたいと思います。

ルーカス・クラーナハ(父、1472-1553年)は、1472年南ドイツのクロナッハ(kronach)に生まれ、ウィーンで頭角を現し、ザクセン選帝侯の招きでヴィッテンベルクにやってきます。ヴィッテンベルクは1517年、ルターが城付属聖堂正門に95か条の論題を貼り、宗教改革発端となった町です。現在の正式な町の名称はルターシュタット・ヴィッテンベルク(Lutherstadt Wittenberg)。彼は宮廷画家でしたが、商才にたけていて大規模な工房を営みました。工房ではどの職人でも同じ絵が描けるよう、同じ主題の定型を作り、大量生産を可能にしました。また、ワイン、薬、砂糖、香辛料など様々な品の独占販売権を持ち相当な利益を得ていたといいます。現在もクラーナハが所有していた薬屋や印刷工房は営業しています。そんなクラーナハは結婚の立会人になるほどのルターの盟友。生涯ルターを支援し何度も肖像画を描きました。ルターによるドイツ語訳聖書を広めるため、印刷業にも乗り出し大成功をおさめます。しかし、ルターと敵対する枢機卿からの注文にも応じています。そして晩年には、ヴィッテンベルク市長も務めました。

ヴィッテンベルクの聖マリエン教会には、クラーナハが描いた「宗教改革祭壇画」と呼ばれる三連の祭壇画があります。中央のパネルは「最後の晩餐」。宗教改革に関連ある人物をあてはめて描いたと言われています。昨年2017年には宗教改革から500年。ルターとクラーナハにまつわる史跡が溢れるヴィッテンベルクはベルリンから鉄道で南西に40分です。ベルリンに行かれたら、一度ルターシュタット・ヴィッテンベルクを訪れてみてはいかがでしょうか?NHK日曜美術館の記事を参照
Matin Luther   Lucas Cranach作
 
 現在、デュッセルドルフのクンストパラスト美術館とケルンの応用科学大学が中心となり、19の美術館や研究機関の協力の元、クラーナハの作品をデジタル化し公開しています。Cranach Degital Archive このHP内のExplore the Paintingsでは、世界中にある作品の所在地を調べることができます。

クラナッハは同じタイトルで何枚もの絵画を描いていますが、特に人気の絵画は、次の美術館で観賞できます。
ウィーン美術史美術館「ホロフェルネスの首を持つユディット 」等
ウィーン造形美術アカデミー「ルクレティア」
ドイツ・フランクフルト・シュテーデル美術館「ヴィーナス」等
フランス・ルーブル美術館「三美神」
*  2010年、ルーブル美術館は個人蔵だったこの作品を獲得するため、購入額の4分の1に当たる100万ユーロの寄付を募り、400でこの絵を買収したそうです。モナリザやサモトラケのニケと同じくルーブル美術館を代表する作品になると言われています。

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